岡山地方裁判所 昭和49年(ワ)689号 判決 1979年3月28日
原告 甲野一郎
原告 甲野太郎
右両名訴訟代理人弁護士 岡崎耕三
同 川崎暢洋
同 田野寿
右岡崎耕三訴訟復代理人弁護士 木津恒良
同 小倉康平
同 岡本栄
被告 乙山一男
右訴訟代理人弁護士 奥津亘
同 佐々木斎
主文
一 被告は原告両名に対し各金一〇〇万円ずつ及び内金各一四万円に対する昭和四五年二月二七日から、
内金各一四万円に対する昭和四六年四月一日から、
内金各一二万円に対する昭和四七年四月一日から、
内金各一〇万円に対する昭和四九年一〇月一日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し各金二一〇万円及びこれに対する内金各一五万円については昭和四五年二月二七日以降、内金各一五万円については昭和四六年四月一日以降、内金各一五万円については昭和四七年四月一日以降、内金各一五万円については昭和四九年一〇月一日以降支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告甲野太郎(以下原告太郎という)は、肩書住所地において農業をする傍ら木炭製造に従事している者、原告甲野一郎(以下原告一郎という)は原告太郎の長男であって、父の仕事を手伝っている者である。被告は、原告らと県道を隔てて隣り合わせて居住し、農業に従事している者である。
2 被告は偏狭な性格で自己主張が強く、協調性に欠け、原告太郎とはもとより他の部落民とも円満にゆかず、いわゆる四面楚歌の状態にあったところ、昭和三〇年九月頃被告の目に余る暴言に立腹した部落民が、その総意で町役場や農業協同組合から各戸へ回覧される通知文書を被告方へは回さない旨申し合わせたことにつき、原告太郎がその主導的役割を演じているものと誤解し、同人方に口論をしかけるなど憤怒の念を抱いていたが、これを晴らすべく同年一〇月二三日午後八時半頃、岡山県阿哲郡甲町大字下乙一、五二八番地の二通称カラカサギ山麓にある原告太郎所有の炭焼小屋に所携のマッチで点火し、これを全焼させ、さらに右放火後帰宅途中の同日午後八時三五分頃、炭焼小屋から北へ数百メートル離れた山道上で、原告一郎が右炭焼小屋の不審火を発見し、これを消火すべくガスランプを照らしながら急行してくるのと遭遇し、とっさに自己の犯行の発覚を隠そうとして、所携の棒切れをもって同原告の所持する前記ランプに打ちかゝり、その打火を消したうえ、さらに同原告を追いかけ、転倒した同原告の背部を数回殴打し、その左前膊手背部に全治三日間を要する打撲擦過傷を負わせた。
3 そこで、その場を脱出した原告一郎と同太郎は、同日午後九時頃、前記甲町所在の新見警察署乙巡査部長派出所の警察官に対し、その旨を申告した。
4 このため、被告は、非現住建造物放火及び傷害罪で岡山地方裁判所に起訴され、昭和三四年一〇月九日同裁判所において右両罪につき有罪の判決言渡を受けたが、これを不服として広島高等裁判所岡山支部に控訴を申立てたところ、同裁判所は昭和三五年一月二六日、原判決に署名した裁判官の一人が原審の実質審理に関与していなかったとの形式的理由によって、原判決を破棄して原裁判所に差戻す旨の判決をした。ところが、原裁判所である岡山地方裁判所は実質審理を行なったすえ、昭和三七年二月一七日、右両罪とも被告人は無罪との判決を言渡し、同判決はそのころ確定した。
5 これより先、被告は昭和三〇年一二月一三日、原告両名を被告として岡山地方裁判所に、「原告太郎、一郎の両名は被告が右放火及び傷害の罪の犯人でないことを知りながら前記2、3の如き申告に及んだものであり、仮に知らなかったとすれば、かゝる所為に及ぶ場合には、被告が真実犯人であるか否かを十分慎重に見極め、被告の名誉、人権を不法に侵害することがないよう十全の努力をするべき注意義務があったのに、漫然これを怠り、被告が犯人であると軽信して申告の所為に及んだものである」として、慰藉料として金三〇万円の支払いと、右申告が悪意に出たことを陳謝する旨の謝罪広告の掲載を求める民事訴訟(以下甲事件という)を提起した。そして、前記のとおり昭和三七年二月一七日、刑事差戻審において無罪判決を受けるや、被告は請求を拡張し、連帯して金三三二万八四〇〇円の支払いと、前記同趣旨の謝罪広告の掲載を訴求するに至った。
6 同裁判所は長期に亘る審理の結果、昭和四五年二月二六日、「当裁判所は原告(乙山一男)が傷害事件、ひいては放火事件の犯人であるとの濃厚な疑いを否定できないものである。してみれば、被告ら(甲野太郎、甲野一郎)のした前記申告ないし供述の内容が真実に合致していないと認めることができないから、その余の点の判断をまつまでもなく、原告の請求は失当と言うのほかなく、これを棄却すべきものである」旨判決した。
被告は、右判決を不服として広島高等裁判所岡山支部に控訴を申立てたが、同裁判所は、昭和四八年一一月五日右控訴を棄却し、その理由として、原審同様、「、、、前記認定の諸事実を総合すると、控訴人に対する犯罪の嫌疑は濃厚なものがあり、被控訴人らが控訴人を本件放火および傷害の犯人と判断してとった本件言動もこれに相当する根拠があるものとして、被控訴人らには不法行為の責任がない」と判示した。
これに対し、被告は上告を申立てたが、最高裁判所は昭和四九年六月二八日上告を棄却し、その理由として、「、、、原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審一判決を含む)挙示の証拠に照らし、正当として認容することができ、その過程に所論の違法はない」と判示した。
7 前記4の刑事差戻審における無罪判決は、被告が真実本件炭焼小屋に放火したのであれば、その帰途暴行現場において、原告一郎と行き違う以前に、同原告所携のガスランプの灯火を発見できたはずであるから、なぜ山中に隠れるなりして、原告一郎に見つからぬようにしなかったのかという疑問を重視したものであり、これに対し岡山地方検察庁が控訴しなかったのは、右の疑問を十分に解明しがたいとの結論に達したからであった。
8 しかしながら、右刑事裁判においては、警察による実況見分や検察官、裁判所による検証が正確になされなかったため、右疑問を解明するための根本的な事実を見落としていたものである。即ち、南から北に向かってきた被告にとって、原告一郎との遭遇地点手前で山道がくの字型に右折し、しかもかなりの上り坂で前方山道と高低差があり、加えて右山道の東側には熊笹や灌木が生い茂っているため、被告からは原告一郎所携のガスランプの灯火を直視することは物理的に不能である。もっとも、被告が立ち止って前方を見上げれば、右灯火が西側の山間を射るのを発見できるが、上り坂で前方を見上げながら歩むという姿勢は通常とりにくいうえ、当夜は月明りがあってランプの直射光との区別が一目ではつきにくいこと等を併せ考えると、被告がその光を発見できなかったとしても何ら不自然ではない。前記甲事件の第一審裁判所は、自ら行なった検証の結果等により右の状況を正確に把握し無罪判決の提起した疑問を解明したのである。
9 被告は自ら放火及び暴行・傷害を行なったにもかかわらず、自らの罪責を免れるため、従来の実況見分、検証が正確になされていなかったことの手落ちに乗じてその犯行を否認すると同時に、刑事裁判において無罪をかちとるための方便として故意に甲事件の訴を提起し、その後の争訟行為を継続したものであり、これが原告らに対し精神的、経済的にいかに苦痛を与えるかを十分に認識していたのであるから、その行為は明らかに反社会的、反倫理的と評価され、公の秩序、善良の風俗に反し、不法行為を構成するものである。
10 原告らは、被告の右不法行為により、次のとおり損害を蒙った。
(一) 精神的損害
被告が原告両名に対して甲事件の訴を提起した昭和三〇年一二月一三日から、最高裁判決に至るまでの実に一八年余にわたり、被告の違法な訴訟によって原告らは常時心神を痛め、かけがえのない貴重な人生の何分の一かを痛憤のうちに無為に過ごすことを余儀なくされたものであり、その精神的苦痛を金銭で慰藉するには、原告一名につき金一五〇万円をもってするのが相当である。
(二) 弁護士費用
原告らは共同、折半して、甲事件における訴訟代理人岡崎耕三に対し、着手金及び報酬金合計一二〇万円を支払った。その内訳は以下のとおりである。
(イ) 金三〇万円
第一審着手金(昭和四五年二月二六日までに支払済み)
(ロ) 金三〇万円
第一審成功報酬金(旅費等も含む、昭和四六年三月三一日までに支払済み)
(ハ) 金三〇万円
第二審着手金(昭和四七年三月三一日までに支払済み)
(ニ) 金一五万円
第二審成功報酬金(旅費等を含む、昭和四九年九月三〇日までに支払済み)
(ホ) 金一五万円
第三審着手金(右同)
11 よって、原告両名は被告に対し、それぞれ慰藉料一五〇万円と弁護士費用六〇万円の合計金二一〇万円宛、及び右六〇万円の内金一五万円については昭和四五年二月二七日以降、内金一五万円については昭和四六年四月一日以降、内金一五万円については昭和四七年四月一日以降、内金一五万円については昭和四九年一〇月一日以降各支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。事実無根である。
3 同3の事実は認める。
4 同4の事実中、広島高等裁判所岡山支部が原判決破棄差戻の判決をした理由の部分を除き、その余は認める。
5 同5、6の各事実は認める。ただし、甲事件の第一審判決は、証拠判断が独断的で思いつき的な推測の域を出ず、経験則に反する不当なものである。また、第二審でも同様の結論を招いたのは、当時刑事事件の記録がすでに廃棄されていたため、民事訴訟において証拠として提出することができず、立証活動が不十分とならざるを得なかったためである。
6 同7、8、9の各主張は争う。右9につき、被告は放火・傷害事件の犯人ではなく、原告らの被害申告が不当なものであると信じ、弁護士らによる証拠の吟味も経たうえで甲事件の訴を提起、維持したものであるから、これを違法とされるいわれは全くない。
7 同10の事実は不知。
三 被告の反論
法は民事訴訟手続とは別個に刑事訴訟手続を設定し、刑事責任の成否を確定する唯一の手続として、その目的に適合した厳格な訴訟構造並びに証拠法則等を規定しており、刑事判決によって刑事責任の存否が判断され、これが確定をみた場合にあっては、右刑事判決の正当性を否定するには、同じく刑事訴訟手続における再審、あるいは非常上告の救済手段によるのほかはなく、民事訴訟手続において、確定された刑事判決の判断を覆すことは、既判力とは別個の理由に基づき許されないものと言うべきである(札幌地方裁判所昭和五三年三月二三日判決参照)。
そして被告が放火・傷害事件の犯人でないことは、右刑事事件の無罪判決が示すとおりである。被告に刑事責任が存することを前提とする本件損害賠償請求は、確定した右無罪判決の判断を覆すことなしには認容し得ないものであって、前記の原則に抵触し、許されないと言わなければならない。
第三証拠《省略》
理由
一 争いのない事実
1 原告甲野太郎、同甲野一郎は父子であって、肩書住居地において農業を営み、昭和三〇年当時はその傍ら木炭の製造に従事していた者であること、被告は原告らと道路を隔てて隣りに居住し、農業に従事している者であること、
2 原告両名は、昭和三〇年一〇月二三日、新見警察署乙巡査部長派出所の警察官に対し、請求原因2記載の被害事実、すなわち、同日午後八時三〇分頃、被告が岡山県阿哲郡甲町大字下乙一、五二八番地の二通称カラカサギ山麓にある原告太郎所有の炭焼小屋に放火してこれを全焼させたうえ、火災に気づいて現場に急行してきた原告一郎と山道上で遭遇するや、所携の棒切れで同原告に打ちかかり、転倒した同原告の背部を数回殴打し、その左前膊手背部に全治三日間を要する打撲擦過傷を負わせたとの事実(以下、本件放火・傷害事件ということもある)を申告したこと、
3 右申告に基き捜査が開始された結果、被告は非現住建造物放火及び傷害の罪で岡山地方裁判所に起訴され、昭和三四年一〇月九日右両罪につき有罪の判決言渡があったが、控訴審たる広島高等裁判所岡山支部は、昭和三五年一月二六日、原判決を破棄して原裁判所に差戻す旨の判決をし(なお、《証拠省略》によれば、控訴審は、原判決には審理に関与しない裁判官が判決に関与した違法があるとの理由で破棄差戻したものと認められる)、右差戻し後の岡山地方裁判所は実質審理を行ったうえ、昭和三七年二月一七日、被告人は無罪との判決(以下無罪判決と称する)を言渡し、右判決に対しては控訴がなく確定したこと、
4 一方、その間被告は昭和三〇年一二月一三日、原告両名を被告として岡山地方裁判所に、請求原因5記載の理由すなわち原告らの前記申告が不法行為にあたるとの主張に基づき、慰藉料の支払及び謝罪広告の掲載を求める甲事件の訴を提起し、前記差戻後の無罪判決を受けた後はその金銭請求を拡張したが、昭和四五年二月二六日、同裁判所は被告(甲事件原告)の請求を棄却する旨の判決を言渡し、昭和四八年一一月五日広島高等裁判所岡山支部において控訴棄却、ついで昭和四九年六月二八日上告棄却の各判決があって確定をみたこと、なお、右各判決理由中の結論部分が、請求原因6において一部引用されているとおりであること、
以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 本件における基本争点
1 本訴請求は、請求原因5及び9にいうとおり、被告自ら本件放火・傷害事件を行った犯人であるにもかかわらず、敢て原告らの前記申告が故意または過失に基づくものであるとして甲事件の訴を提起した(一審敗訴後控訴・上告までを敢てした)ことが不法行為にあたるとの理由に基づくものであるから、本訴請求の当否を判断するについては、被告が真実本件放火・傷害事件の犯人であると認められるか否かがまさに問題の核心をなすものというべく、その判断を離れて結論を得ることはできない。
2 この点につき、被告は、すでに刑事訴訟手続において刑事責任の存否が判断され確定をみた以上、民事訴訟によって右判断を覆すことは許されないと主張する。なるほど、例えば被告人として有罪の確定判決を受けた者が、再審等の救済手続によらず、民事訴訟において刑事責任の不存在を主張し、相異なる判断を求めることを許容するとすれば、その者に対してとられた刑事訴訟手続の作用一切を無意義とすることになるから、このような主張は許されないとの見解もあるであろう(引用の札幌地裁判決はこの旨を判示している)。しかし、本件において、原告らは自ら刑事手続上当事者の地位にあった者ではなく、またもとより無罪判決に対する不服申立方法を有するわけでもないから、上記の例と同様に論ずることができないことは明らかである。
当裁判所としては、被告が果して本件放火・傷害を行ったか否かにつき、前記無罪判決を有力な一資料としつつも、提出・援用の各証拠に基づき自由な心証をもって認定・判断すべきことは当然である。
なお、付言するに、《証拠省略》によれば、無罪判決が摘示した証拠のうち主要なもの(ないし実質上これと変りのないもの)は、当裁判所の審理にもあらわれていることが認められる。
三 基本争点の検討
1 原告一郎の供述
《証拠省略》によれば、原告一郎は本件事件の直後、警察官に対し、前記一2に掲げた趣旨の説明をして以来、捜査官による実況見分や参考人としての取調べ、捜査官及び裁判所による各検証、公判廷における証言ないし供述を通じ終始一貫して、ほぼ次のとおりの供述内容を詳細かつ具体的に繰返していることが認められる。「原告一郎は、事件当日午後六時ごろ、岡山県阿哲郡甲町大字下乙の丙部落にある自宅を出て、午後七時ごろ同大字一五二八番の二通称カラカサギ山麓にある原告太郎所有の炭焼小屋に到着し、午後八時ごろまで炭かまどの密閉などの作業をし、火元の安全を確かめたうえ、すでに焼き上っていた炭三俵を「負い子」で背負い帰宅途中、二回目の休憩をした際、右炭焼小屋方面で火の手が上っているのを発見した。そこで、炭俵をその場に置いて、所携のガスランプを照らしながら才峠(さいのたわ)を経て右炭焼小屋に急ぎ引返していたところ、同峠を北から南へ約四〇メートルほど下った山道上で、約一〇メートル前方の右山道がくの字型に曲っている地点のあたりに、杖をつき明かりも持たずに南方から上がってくる人影を発見した。そこで、不審に思って近づきながら「こりゃ」と声をかけると、その人物は同原告を避けるように山道の西側に寄ったので、ランプの光でよく照らして見ると、常日頃原告の父太郎に対し恨みを抱いている被告であることがわかったので、被告が炭焼小屋に放火したものと直感し、「乙山一男、えらいことをしてくれたな。」と声をかけて通り過ぎたところ、いきなり背後から被告に木の棒と覚しきものでガスランプを叩き消され、同原告が逃がれようとして暗がりのため二度転倒した間に、右木の棒で背中や左手の甲あたりを殴られ受傷した。しかし、被告もまた付近の叢に転倒したので、そのすきにその場を逃がれ、直ちに右炭焼小屋にかけつけて延焼を防ぐ措置を講じた後、被告に会うことを避けるため、一部道のないところも通って同大字丁部落に下り、同部落の小谷国雄方にかけ込み、乙山が窯に火をつけて丙谷の方を帰って行ったので早く手配するよう警察(同大字戊部落にある巡査部長派出所)や丙部落あてに電話連絡してくれるように依頼した。そして、自らも右小谷方の自転車を借りて急ぎ帰宅する途上、同派出所に立寄って石原巡査部長に早く来てほしい旨を告げ、一足先に丙部落に帰着した。」
要旨以上のとおり述べるのである。(なお、同原告の供述中右帰着時点以後にかかる部分については、必要に応じ別項で検討する。)
2 被告の供述
《証拠省略》によれば、被告はこれも終始一貫して、右放火及び傷害の事実を強く否定し、「事件当夜は午後八時ごろまで自宅付近の田で稲架け作業をし、飼牛の世話などを済ませてから自宅のいろり端に上り、家族と一諸に酒を飲み、夕食をとったが、そのうち酔いが廻って寝ついてしまった。当夜は外出さえ全くしていない。」と述べている(なお、《証拠省略》によれば、被告の妻子も右趣旨に副い、被告のアリバイを裏づける証言をしていることが窺われる)。
3 関係証拠との対照
そこで、被告の右否定にかかわらず、原告一郎の供述を信用することができるか否かを、関係各証言や客観的状況に照らし仔細に吟味する必要がある。
(一) 先ず、現場の状況につき、《証拠省略》によれば、以下のとおり認められる。
(1) 事件発生の翌日行われた実況見分の際、原告一郎が出火を発見したと述べる場所は、「負い子」につけた炭三俵が置かれており、暴行を受けたという場所(以下本件暴行現場ということもある)に、その所持していたというカーバイトガスランプ一個や、同原告所有の手拭い(鉢巻をしていたという)、たばこケースが発見され、またその付近に、同原告が当時着用していた長袖シャツが脱ぎ捨てられていた。そして、右ガスランプは、棒で叩いた場合にもつき得るような凹みがあり、取手がゆるみ、水滴調節ねじが脱落していた。
(2) 同原告のいう出火発見場所からは、本件炭焼小屋の火災を望見することが十分可能である。
(3) 同原告がガスランプによって被告を識別したという地点やその時の相手との間隔につき、同原告の説明には前後一ないし二メートルのくい違いがみられるけれども、その最大のものにおいても距離四メートル位と指示するところ、ガスランプの照射実験によれば、少くとも距離五メートル位に接近すれば、相手が顔を上げた場合に識別が可能であり、距離四メートル程度では識別が容易である。
(4) 本件炭焼小屋は、麦わら葺の屋根、柱、板囲い等がすべて焼失して間がなく、また、小屋内にあった製俵三〇俵、空俵六〇枚等(原告一郎、同太郎の説明による)も焼失し、窯のみを残す状態であった。なお、窯には何ら破損の箇所がなく、当時その内部にこめてあった木炭六〇俵分にも異常が認められないことから、窯自体からの自然出火とは認められないし、また、たばこの吸殻の処置については、焚き口直近に深さ約二五センチメートルの穴が掘られ、その上にバケツを逆さまにして覆ってあり、原告一郎が吸殻をもみ消してこの穴に落しバケツをかぶせたと説明するところと符合し、右吸殻からの着火と推定する余地は極めて乏しい状況にある。
以上のとおり認められ、これらの諸状況は、原告一郎供述と矛盾なく適合するものと考えられる。
(二) また、《証拠省略》によれば、原告一郎が殴られたという左手の甲は事件当夜に腫れを来し、翌一〇月二四日、同町乙診療所の医師田中一二の診断を求めたところ、左前膊手背打撲兼擦過傷で治療見込日数三日との診断であったことが認められる。
(三) 次に、原告一郎が派出所等への電話連絡を依頼したという小谷国雄の供述をみると、《証拠省略》によれば、「弟の郡一とともに自宅横の田で稲かけをしていたとき、原告一郎が非常にあわてて飛んできて、『今、窯に火をつけられた。犯人が丙谷へ出よるからすぐ警察へ電話かけにゃいかんから電話を貸してくれ』というので、弟に電話をかけて上げえと指示し、弟はすぐ電話をしに行った。同原告は、『すぐ丙谷に連絡してくれ』とも言っていた。弟が電話する間に、一郎は、『部長さん(石原巡査部長の意)の所に行かねばならぬので帰ります』と言ったので、自転車を貸してやった。」と述べ、この点原告一郎供述中関係部分と概ね一致する。
もっとも、このとき同原告が、放火犯人として被告の名を挙げていなかったのではないかという問題が、無罪判決の指摘する疑問点の一つであり、ひいては同原告の供述全体の信用性への疑問へとつながったことが窺われる。なるほど右小谷は、《証拠省略》においては、「一郎は誰に火をつけられたということまで言ったか」との質問に対し、「日にちがたっているのではっきり覚えぬ」とか、「その点説明されていない」「聞いたようには思わない」と述べており、この点は原告一郎供述に合致しないものがある。しかし、《証拠省略》では、右は間違った証言であったので訂正したいと前おきして、火をつけたのが被告であることを右時点で聞いた旨を供述する。そして、右各供述における自分の心理を、前回(刑事事件)は自分が丁部落の区長をしている立場上、乙山を悪者にしては困ると思ってあのように述べたが、証言の過ちが気にかかっており、今回(民事事件)で乙山の請求どおりになれば、甲野らの家屋敷まで処分せねばならぬと聞き、真実を言わねばならないと考えた旨説明するのであって、ことの是非は別として真率なものが窺われ、次掲の小谷郡一証言と併せてみるときは、右訂正後の供述を信用し得ると判断される。
(四) この点、小谷郡一は《証拠省略》において、「原告一郎から、『今、炭焼小屋に火をつけられた。乙山が丙谷へ帰って行ったので警戒するように伝えてくれ』と頼まれて、直ちに巡査部長派出所に『犯人は乙山だから警戒してくれ』と、また丙部落の溝上方(同部落で唯一の電話設置者)に、『甲野太郎の炭焼小屋が焼かれ、乙山が帰っているから早く警戒するように甲野に伝えてくれ』と電話連絡した」旨を述べている。
右供述は、原告一郎が「乙山に火をつけられた」との端的な言い方をしたとは述べていないけれども、右郡一は同原告が犯人は乙山だと告げているものと理解し、そのように信じて電話連絡をしたことが明らかであり、この点につき同原告の訴えと右郡一の理解との間に行き違いがあったとみられるような状況はない。
(五) 右電話連絡を受けた巡査部長石原祥光の供述の要旨は次のとおりである。「丁の小谷から電話があり、『丙の甲野一郎が山で炭焼小屋に火をつけられてここに届けに来ている。犯人は丙谷を下りているはずだからすぐ手配してくれ』と言ってきた。すぐ乙巡査派出所の片山巡査にそのことを連絡してこちらに来るように指示し、次いで新見の本署へも電話連絡していたとき、原告一郎がランニング姿で汗びっしょりになって飛び込んできた。同原告はすぐ行ってくれというので、丙部落まで案内させようと思って待たせていたが、片山巡査が到着すると同時に同原告は自転車で走り出し、自分らはそのあとを自転車で追った。丙部落の一〇〇メートルか二〇〇メートル手前で時計を見たところ、午後九時四五分であった。原告一郎方前で原告太郎、同一郎らと落ち合ったところ、先ず一郎が、『父(太郎)が犯人らしい者を見たと言っている』と、次いで太郎が、『田で仕事をしていたら誰かが山から降りて来る道を走るようにして乙山一男の家に入ったので、急いでいるんだなあと思っていたところへ溝上から連絡があって山の事件のことを知った』と申し立てた(なお、右太郎の供述については後に検討する)。さらに引き続いて一郎から事情を聞くと、『炭焼小屋の火事を見て引返す途中才峠で人に会ったが、相手が道をかわしたのでガスランプで照らしてみると乙山だったので、乙山一男、横柄なことをしたなと言ったところ、後ろから乙山が追いかけてきて棒で叩いた。乙山はいつも見ている人間だし、自分が乙山と言ったら叩いてきたのだから人間違いは絶対にない』と言った。」
右のとおりであって、これもまた、原告一郎の前記供述とよく符合するところである。もっとも無罪判決は、同原告が巡査部長派出所に立ち寄った際、石原に対して事件内容を説明していないことを指摘してその供述の信用性にかかわる問題とするけれども、この点同原告は、詳しいことはすでに小谷方から連絡してくれているものと思って、早くお願いしますとだけ伝えたと説明しており、前掲各証拠にあらわれた状況に照らし、右の説明には格別不自然な点はなく、首肯し得るものと考えられる。また、無罪判決は、原告一郎が石原に対し犯人が被告であると申し立てたのは、父(原告太郎)の目撃報告の後であることを重視し、父の右報告によってはじめて被告を犯人と思い込むに至ったのではないかとの疑問を投じている。なるほど《証拠省略》によれば、その順序は右のとおりであるけれども、原告一郎はこれに先立ち、小谷国雄、同郡一に対し、被告の名を明らかに告げていることはさきにみたとおりである。また、事件と関係あるらしいと思われる者が被告方に入って行ったということは、同原告にとってより新しい情報であるし、第三者特に警察官を納得させる重要な補強事実であると考え、その報告を急ごうとしたとしても別段不自然な点はない。結局、この点に関する無罪判決の指摘には賛同できないというほかはない。
(六) また、小谷郡一からの電話連絡を受けた溝上彰も、《証拠省略》において、「小谷から『甲野の窯へ乙山が火をつけて丙谷に向かっているから警戒せい。一郎君は今自転車で帰っているから追っつけ帰る』と連絡があったので、そのままを原告太郎に伝えた」と述べ、原告一郎供述、小谷国雄、同郡一証言との符合を示している。なお、右溝上は、窯に火をつけるということが想像外で、電話の内容自体を疑わしく思ったとの趣旨を述べ、その時の気持ちまでを具体的に述べているのであって、同人の記憶に疑問はないと考えられる。
(七) 最後に、原告太郎の供述を検討するに、《証拠省略》によれば、同原告は、「当日夕刻、食事を済ませて原告一郎が炭焼小屋に向かった後の午後六時ごろから、自宅前の県道わきでガスランプをつけて稲かけ作業をしていたところ、午後九時を過ぎた時刻と思うが、誰かが上(才峠方面に向かう山道を指す)から転ぶような急ぎ足で降りてきて、県道を横切り、被告方に至る道を通って被告方の方に走って行くのを目撃した。その五分位後に、区長の溝上彰が、乙山が窯に火をつけたらしいと知らせに来た。それで、今行ったのが乙山だったのだと話した。」旨を捜査段階以来一貫して供述していることが認められる。
そして、《証拠省略》によれば、同原告が目撃したと指示する位置から、夜間ガスランプの照射により人影を認め得るか否かを検したところ、白いシャツを着た人物が県道を横切るときは薄ぼんやりと白いものが横切る程度に見え、県道を下り被告方への通路を行くときはある程度はっきり見える状態であったことが認められるし、また右溝上も、原告太郎からそのようなことを聞いた記憶がある旨述べているのであって、これらは右太郎供述の信用性を補強するものとみられる。
なおこの点前記無罪判決は、被告が自宅に戻り着くにつき、原告太郎が県道上でガスランプの明かりで作業していることは予想でき、かつ接近すれば認識できるにもかかわらず、そのすぐ横を通るコースを選んだことは理解しがたいと指摘しているが、《証拠省略》によれば、被告の通ったコースの方が幾分近道で、途中人家も少なく人目に触れにくいことが認められ、また被告は平素この道を利用していたであろうことが推認されるし、被告が本件放火・傷害の犯行を犯したとすれば、少なからず興奮し冷静さを欠いていたであろうこと、原告一郎からの連絡やその帰省に先立ち一時も早く帰宅してアリバイを作る必要があったことなどの事情が推認できるので、被告が前記のコースをとったことは必ずしも不自然とは言えない。
4 原告一郎供述の信用性
以上にみたとおりであって、原告一郎供述は総じて客観的な状況や関係者らの証言との間に矛盾や不一致はなく、むしろこれらとよく適合しているし、その供述の過程にも不自然な点はないということができる。なお、後にも触れるとおり、事件当夜原告両名や石原巡査部長らが被告方に赴いた際、被告が犯行を否定したのに対し、原告一郎はすかさず、「山で乙山も藪に突っ込んだからけがをしているはずだ。」と確信をもって告げている(これによって石原が被告の体を見分した)が、このことは、現場で体験した者のみのもつ迫真性を示している。
もし原告一郎供述が虚構であり、被告との遭遇や放火及び暴行被害の点が架空の事柄であるとするならば、同原告は自ら炭焼小屋に火を放ち、炭三俵を負い子につけて二回目の休憩場所に赴き、炭俵を置いてから本件暴行現場に至り、ガスランプに前記損傷を加え、水滴調節ネジを外して投棄し、手拭いやたばこケース、長袖シャツ等をも故意に遺棄し(もっとも以上の順序については種々の場合があり得るが)、なお、いずれかの時点で自分の手背に打撲擦過傷を負わせ、丁部落の小谷方に至り、さも被告から放火・傷害の被害を受けたように告げて電話連絡を依頼し、ランニング一枚に汗まみれの姿で派出所に飛び込んで手配を頼んだうえ自宅に急行したということになるが、純農村に育った二二才の青年が、架空の犯罪を創り出すためこのような演技を敢てしたと想定することは、あまりに空想的に過ぎると言わなければならない。また、同原告の父太郎と被告とが対立関係にあったとは言え、同原告自身としては、被告との間に大きい年令差があることでもあり、このようにしてまで被告を陥れねばならない動機があったと認めるべき証拠はない。しかも、もしこれを作為とみる場合、同原告にとっては、上記のような行動を被告のアリバイのない時間内に着手し完了する必要があったことはもちろんである(なお、《証拠省略》によれば、丙部落から本件炭焼小屋に至り、直ちに丁部落に下りたとしても一時間三〇分近くを要すると認められる)が、その間被告が予定内、予定外の外出や来客等により、第三者と会う可能性の有無をいかに計算し得たであろうか。これらの点からみて、原告一郎の供述を虚偽・架空のものと疑う余地はないと考える。
前記無罪判決も、このような疑いまでをさしはさんだものではなく、むしろ原告一郎が山中で遭遇した人物が果して被告であったか、同原告はこれを被告と誤信したにすぎないのではないかを吟味し、結局その可能性を肯定する結論に達したものであることが窺われる。しかしながら、その指摘する問題点のあるものについてはすでに前記3において検討したところであるし、その余の問題点については後記6において検討を加えることとする。
5 間接事実
上掲各供述証拠に加えて、本件においては、被告が犯人であると疑わせるに足りる次のような間接事実が存在する。すなわち、
(一) 《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 事件当夜、石原巡査部長、片山巡査らが原告両名の案内で被告宅に来た時、被告は奥の納戸で布団に入り、寝間着を帯で結ばずに着て横になっていたが、その手首や足首から先には黒い土が相当に付着しており、顔も薄黒く土で汚れていた。当時農繁期であったとはいえ、当日の作業を終えて帰宅し、いろり端で酒を飲み夕食をとるだけの寛ろいだ時間を過した者(被告供述による)が、その間顔や手足を洗うことすらせず、そのまま布団に入ったというのは、甚だ不自然と言わざるを得ない。過度の疲労や酩酊の場合このようなことがあり得るとしても、前掲各証拠に照らすと、被告はそれほどの疲労、酩酊状態にはなかったことが認められる。
(2) 右に続き、石原が被告に対し、今晩どこかに出かけなかったかと先ず質問したが、被告が外出を否定したので、今度は原告一郎に向かって間違いないかと念を押したところ、同原告は即座に、「山で乙山も藪に突っ込んだからどこかにけがをしている筈だ。」と答えた。そこで石原が被告の体を調べてみると、その胸に何本かの生生しい血の滲んだようなすり傷があった。被告はこの傷はのみに食われてかいたためできたと弁解したが、石原や片山巡査、原告らは、単なるかき傷ではなく、何かでかなぐった(強く引っかいたの意)か、いが状のものが擦れて生じた傷と観察した。なお、被告の鼻の下にも生々しい傷があり、被告はひげを剃った時に切ったと説明したが、被告は最近ひげを剃ったとは思われないほどひげが伸びていることが観察された。
(3) また、石原が被告に当日の着衣を質したところ、入口板の間に置いてあるズボンをはいていたというので、石原が右ズボンを取り上げていろり端まで運ぶうち、右ズボンからマッチの小箱(軸木三二本在中)がこぼれ落ちたので、これを右ズボンと共に領置した。なお、被告は右のようにマッチ箱が発見されたこと自体を否定しているが、前掲各証拠に照らし右否定供述は採り得ず、却って被告がこれを認めることの不利益を十分自覚していたことが窺われる。
(二) 《証拠省略》によれば、被告は平素の言動によって、部落住民から協調性を欠く性格とみなされ、住民との交際が円滑にゆかず、しばしば摩擦を生じており、原告太郎とも以前取組み合いのけんかをしたこともあったが、昭和三〇年九月ごろ、部落住民によって町役場、農協などからの連絡文書を被告には回さないという措置をとられ、この措置につき原告太郎が主導的役割を果たしていると考えて、同原告方に数回赴いて激しく口論したり、同年一〇月一二日ごろ同部落の宝蔵槌美方において、「いつかは甲野をやってやる。」と口走るなど、同原告に対して遺恨の念を抱いていたことが認められる。
6 無罪判決の指摘する疑問点
(一) 無罪判決は、すでに検討したもののほか、被告が本件炭焼小屋に放火した場合、その帰途原告一郎と遭遇する前に、同原告所携のガスランプの灯火を発見し得たはずであるのに、何故もっと早く逃げるなり身を隠すなりして遭遇を避けなかったのかとの疑問を提出する。しかし、《証拠省略》によれば、原告一郎が被告と行き違ったと述べる地点の山道は、北に向かって「く」の字型に曲がっていて、右山道の東側には熊笹や灌木が茂っており、しかも原告一郎の供述のように被告が右山道を北に向かって上がって来ていたとすると、被告から見て右屈曲点の手前は山道がかなりの上り坂で一部階段状となっているため、ランプを持たず月令七・三の月光を頼りに(当日は晴天)足元に注意しながら歩くためにはやや前かがみの姿勢をとることになろうし、被告の内心においても原告一郎と遭遇することなど予想さえもせず帰途を急いでいたであろうと推測されるから、原告一郎のランプの光を右屈曲点を右に曲がるまで発見しなかったとしても不自然ではないと考えられる。
(二) また、無罪判決は、原告一郎が二回目の休憩をした場所(同所から火災を発見した)から暴行現場までの所要時間と、炭焼小屋から同現場までのそれとを比較すると前者の方が長いのであるから、被告は原告一郎が出火を発見するほどに炭焼小屋が炎上してもなお暫時放火現場に滞留していたと推測すべきことになり、やや不自然であると指摘する(なお、無罪判決五枚目末行以下に「帰路について約二〇分ほど休憩した際山の上に火があがるのを見て」とあるのは、「帰路について約二〇分ほどして休憩した際((下略))」の誤記と認める)。
しかし、《証拠省略》に照らすと、同原告は出火後ほどなくこれに気づき、急ぎ足で暴行現場まで引返した(この間約五七〇メートル)とき、炭焼小屋から同現場までのぼってきた(この間約四一〇メートル)被告と遭遇したことが窺われるから、被告が放火現場に止まっていた時間はさほど長いものではなかったとみられる。そして、被告としては、右現場が人里離れた山中であって、直ちに発見される危険は感じていなかったであろうし、いわんや原告一郎がさほど遠くない地点にいて、火の手を発見し急拠引返して来ることなどは予測していなかったと推察されるから、被告が放火後直ちに逃走せず、多少の時間現場に滞留していたとしても、さほど不自然というにはあたらない。
(三) 原告一郎が被告を識別した時の被告の位置について、後になるほど接近した位置を指示し、識別の可能性を強調しているとの指摘についても、右(二)に掲記の各証拠によれば、その供述にあらわれた距離の差は一ないし二メートル程度と認められるし、同原告は夜間ガスランプを頼りに山道を急いでいる間、周囲にとりたてて目標物もない場所でいきなり被告に出会ったものであり、その出現自体予想外のことであったとみられるから、位置に関する供述に多少の変化があるからと言って、その信用性を否定することは相当ではない。
7 基本争点についての結論
以上のとおりであって、本件暴行現場において原告一郎に暴行を加え傷害を負わせた犯人は被告であると認めるに十分である。そして、本件炭焼小屋に放火した犯人については、同原告も直接これを現認しているわけではないけれども、右暴行の時点及び場所が炭焼小屋の出火の直後、火災現場から四〇〇メートル余の地点であり、しかも人里を離れた夜の山中であること、被告はその場を通りかかったことの理由や目的については全く釈明をしないこと(全面的に否定している以上当然と言えるが)、原告一郎から、「乙山一男、えらいことをしたな」と問責されたのに、一言も返さず直ちにそのあとを追って暴行を加えたこと、その他前記の間接事実(原告太郎への遺恨やマッチの所持)等に照らすと、本件放火の犯人もまた被告であると認めるに十分と言うべきである。
被告の否定供述は、前掲各証拠に照らし到底措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない(なお、前記のとおり、刑事事件及び甲事件においては被告の家族らも被告供述に副う供述をしていたことが窺われるけれども、このことも右認定を覆すに足りるものではない)。
四 被告の不法行為の成否
1 事実関係が上記認定のとおりである以上、被告は自ら本件放火及び傷害の犯行を行いながら、原告らの申告によってあらぬ嫌疑をかけられたと主張し、原告らに対し損害賠償及び謝罪広告を求める甲事件の訴を提起したこととなる。その真意は直接には知り得ないが、原告らに対する報復的感情に根ざしたであろうことはもとより、前記一3及び4の各裁判の経過等に照らすと、被告は刑事裁判における犯行否認を正当なものと印象づけ強調する手段として、ことさらに右訴を提起したものと推認されるから、その提起及び維持継続(上訴を含む)は甚だ反社会的、反倫理的であって公序良俗に反し、全体として一個の不法行為を構成するものと言わなければならない。
2 なお、被告は右提訴にあたり、弁護士による証拠の吟味・判断を経ているとの理由で違法性を否定するけれども、当該弁護士が本訴提起を自ら決定し被告に慫慂したような事情は何ら窺うに足りず、被告の意思決定に基づく所為と認められるから、右主張は採ることができない。
よって、被告は甲事件の訴の提起・維持によって原告らに生じた損害を賠償する義務がある。
五 原告らの損害
1 精神的損害
(一) すでにみたとおり、本件放火及び傷害事件は、今を遡ること二三年余の昭和三〇年一〇月に発生し、被告は同年一二月早くも甲事件の訴を提起し、以来被告の刑事有罪判決、破棄差戻判決、差戻後の無罪判決等を経ながら、延々と民事上の抗争を続けてきた。甲事件の第一審判決は昭和四五年二月、これが控訴棄却、上告棄却によって確定をみたのが昭和四九年六月であり、その間実に一八年余を経過している。なお、右第一審係属中の昭和三七年被告は無罪判決に力を得てか、金銭請求を三〇万円から三三二万余円へと大幅に拡張したことも認められる。原、被告らは山間の純農村に定着し、しかも相隣接して住む者であって、かかる長期訴訟事件に発展したことによる双方の対立、相剋は極めて深刻なものがあり、村落内の注目・関心も一方ならず、いわば双方の名誉・人格(原告らにとってはその財産も)をかけた抗争へと拡大して行ったものであって、これによる原告らの心労は極めて大きいものがあったと推察される。なお、《証拠省略》にも一端をみるように、無罪判決の後は、原告らが敗訴して家屋敷まで処分せねばならぬなどと噂されたことも窺われるのである。原告らは、交通不便にもかかわらず、民・刑事事件を通じて公判のつど傍聴に赴き、その回数は数十回に達し、その間訴訟代理人との連絡にもしばしば奔走したと言うが、右のような抗争であってみれば、その行動も理解できないことではない。
(二) 本件放火・傷害事件に先立ち、原告太郎と被告との間に存した感情的対立について、被告のみを一方的に責めるのは当を得ないであろう(さりとて同原告の側により多く帰責すべき根拠もない)。しかし、同事件が被告の所為であることは前記認定のとおりであって、原告らはそのため被害を蒙った者であるのに、自らの目撃状況等を記憶に基づき申告したことにより、さらに甲事件の被告の地位に立たされ、長期間の心労を伴う応訴を余儀なくされたものである。
(三) 一般に、不当提訴によって被告とされたことによる精神的苦痛は、当該訴訟に勝訴することによってほとんど慰藉・回復される場合が多いと言って差支えないであろう。しかし、本件において、上記の事情一切を考慮するとき、被告からの請求を棄却する甲事件判決が確定したというだけで、原告らの受けた精神的苦痛が十分に回復したとすることは、あまりに皮相の見方に過ぎるであろう。そして、このような事態に立ち至ることは、被告も提訴時に容易に予見し得たとみられるから、被告に対し、原告らの慰藉のため、相応の金銭賠償を命ずるのが相当である。
(四) 一面において、被告に対する無罪判決により原告らの受けたであろう精神的打撃は、甲事件第一審判決が原告らの供述の信用し得ることを詳細に説示し、「被告が犯人であるとの濃厚な疑いを否定できない」としたことにより、かなり大幅に回復したであろうことも推察に難くない。皮肉にも原告らは、右訴を提起されたことにより、自己の供述を裁判上措信される機会を得る結果となったものである。
その他、本件にあらわれた諸般の事情を総合して、原告らに対する慰藉料額は、原告各自につき五〇万円ずつをもって相当と認める。
2 弁護士費用
《証拠省略》によれば、原告らは甲事件に応訴すべく弁護士岡崎耕三に訴訟手続を委任し、各審級を通じて請求原因10(二)記載日までに同記載のとおりの着手金、報酬金等を原告両名折半して支払ったこと、これらは応訴のためのやむを得ない出費であったことが認められる。同事件の前記のような内容や審理期間、訴訟物の価額その他諸般の事情を斟酌して、そのうち被告に賠償を命ずべき金額は、第一審の着手金(昭和四五年二月二六日までに支払)及び成功報酬金(昭和四六年三月三一日までに支払)として支出した各金二八万円、第二審着手金(昭和四七年三月三一日までに支払)のうち金二四万円、第二審成功報酬金及び上告審着手金(昭和四九年九月三〇日までに支払)のうち金二〇万円の合計金一〇〇万円(原告各自につき各金五〇万円)と定めるのが相当と認める。
六 結論
以上によれば、原告らの本訴請求は、慰藉料として各金五〇万円ずつ、弁護士費用負担による損害として各金五〇万円ずつ及びそのうち各金一四万円に対する昭和四五年二月二七日から、各金一四万円に対する昭和四六年四月一日から、各金一二万円に対する昭和四七年四月一日から、各金一〇万円に対する昭和四九年一〇月一日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田川雄三 裁判官 浅田登美子 坂本倫城)